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AIを操る力の正体は編集力

  • 執筆者の写真: 光輝 渡辺
    光輝 渡辺
  • 2023年4月27日
  • 読了時間: 2分

大学院で国語教育における「編集力」の研究をしていたときから予見していたのは、「文章を書かない国語力」の存在だった。文章を一個も書かなくても必要な国語力の存在があるようだ。それは一体何なのか。

修論の研究で、ある雑誌編集者にヒヤリングをしたときに、その方の言葉で非常に印象に残っているものがある。それは「編集者は無能でいいんですよ」というコメント。

真意はこうだ。

雑誌編集者は、文章を書いたり写真を撮ったりするスキルに関しては「無能」でもいい。編集者の仕事はそこじゃない。どんな記事が必要か企画をし、文章は他のライターさんに依頼をして、自分はその記事の構成、紙面全体のトーンやカラーの調整などをディレクションし、プロデュースすることなのだと。

(音楽でいうと、ライターは演奏者。編集者はDJの立ち位置。ファッションの世界なら編集者はデザイナー。デザイナーさんは自分ではミシンはふるわない。というわけで、松岡正剛さんじゃないけど、ありとあらゆる分野で「編集力(エディターシップ)は存在する)

このような編集者のスキルを「編集力」とするなら、その正体は上手に文章を書く力ではない。編集者は文章が書けなくてもいい。むしろ編集者が書くことで前に出すぎてはいけない。他の方に上手な(=意図する)文章を書いてもらい、それを適切に構成し、調整し、メディアに乗せて発信する、ディレクションの力があればよい。編集者のスキルの核心はディレクション力だ。

いま、子どもたちは授業でAIを駆使してイラストを描かせ、AIに文章を代行して書かせようとしている。その姿を見ていてモヤッとするとともに、新しい力が育ち始めていることを実感していた。

AIを駆使するその力を、従来の美術のスキル、国語の書く力の枠組みで捉えようとすると、すなわちチート(手抜き、ズル)としか捉えられなくなる。

そうではなく、AIが出力したイラストや文章をディレクションし、意図通りのものとなるように調整する「編集力」として捉え直すことができるのではないかと思い始めた。つまり、AIを操る力の正体は編集力だったのだ。

 
 
 

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