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  • 執筆者の写真光輝 渡辺

生成(ジェネレーティブ)から創造(クリエイティブ)へ

国語科生成AI活用のキモらしきものがわかってきた。

それは、生成(ジェネレーティブ)と創造(クリエイティブ)の違いから生まれる気づきから、言葉の学びを引き出すこと。

ChatGPTの本質はジェネレーティブ(生成)にある。

つまり既存の情報の断片を継ぎ合わせて、ひとかたまりの言葉をこしらえていること。AIがしていることは情報のかきあつめだ。

一方、人間の「創造(クリエイティブ)」は、「生成」とは似て非なるものだ。創造は人間が何らかの動機や意図をもってなにものかを作り上げ、それに意味付け、価値づけをする過程が含まれる。意味づけ、価値判断がないそれは、単なる言葉のかきあつめにしかならない。

国語科でつけたい言葉の力は「生成の力」ではなく「創造の力」であるはずだ。

つまり、認識を更新し、自他の心を動かし、社会を、現実を作りかえていく力のある言葉を生み出すことだ。

ChatGPTがパターン認識やランダムな組み合わせで「生成」した言葉、情報から、現実を作りかえていく力のある言葉に昇華させていく人間の創造的な能力がもとめられる。そのためにこそAIを活用すべきだし、AIと共生する人間のしごとはそこにある。

生成(ジェネレーティブ)なものに、創造(クリエイティブ)なものの萌芽をとらえ、価値づけ、意味づけて創造へと繋げていくこと。そんな学びがAI時代には求められると考える。

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