教師は「主体性」のなさには耐えられない
- 光輝 渡辺
- 2023年6月21日
- 読了時間: 3分
私も含め、多くの国語教師にとっての生成AIの最大の脅威は、実のところ、それが生徒の「主体性」を奪いにくるのではないかという懸念にあるのではないか。
多くの国語教師にとって、良きにつけ悪しきにつけ、「うまい文章を書く」ことについてそれほどの重きを、実はおいていない。
それよりも最も重視しているのは「これを表現したい、書きたい」という思いを、子ども一人ひとりが持っているということにある。この思いを子どもがほんの少しでも持っていれば(この思いを育てられれば)、多少の表現の拙さは、ほとんど取るに足らないものだ。
逆の言い方をするとわかりやすい。
ある生徒が、大人も唸らせるような素晴らしく技巧を凝らした思慮深い文章を書いてきたとする。しかし、当の本人はそんな文章は全く書きたくもないし、そこに思いは一切ない。
教師が、「どうしてこんなことを書こうと思ったの?」「なぜあなたはこう表現したの?」と聞いても「別に」「テキトー」「こう書けと言われたから書いたまでで、そこに自分の書きたい思いなんていうものは全くない」と言われたら、かなり残念な気持ちになる。
どんなに上手な文章を書いてきたとしても、そう発言する生徒には、(そういう授業になってしまうのは)、何が大切なものが抜け落ちてるのではないかとさえ思う。
だから、発想→取材→選材→構想→記述→推敲の作文の指導過程での最大の眼目は最初の「発想」段階の指導にあり、「これを書きたい」と思ってもらうことに成功すれば、七、八割方、作文の指導は完了したとも言える。
ChatGPTがこれまでの、どのツールとも異なるのは「これを書きたい」という発想の部分も、かなり代行していまうところにある。
たとえば「夏をテーマにいい感じの俳句をひねって」といえば、かなり「それっぽい」俳句を生成することができる。
探究の学習で、何をテーマにしたらいいかわからない生徒が苦し紛れに「評価Sになりそうな気の利いた探究テーマを十個紹介して」とChatGPTに聞けば、お望みのテーマを生成してくるだろう。
結果として、大人も唸らせるような俳句ができた。文句なくSの探究テーマを出してきた。
しかし当の生徒本人はそんな俳句を書きたいと思ってないし、そんな探究テーマに全く関心はない。
だとしても、それでも、その俳句や探究テーマを、わたしたち教師は高く評価できるのだろうか?
こう反論する人はいるだろう。
結果として、出来上がった俳句、探究テーマが優れてれば、なんの問題があるの?大人だって、そうやってAI頼って仕事するでしょ?むしろそうやっていいものを作り上げていって、人類を進歩させるほうがいいんじゃない?
確かに一理ある。
でも、目の前の子どもの「書きたい」「これを知りたい、探究したい」という思いが一切ない「文字の羅列」が生み出されたとして、その文字の羅列によって、その子どもがどう育つのかとも思う。どんな人間が育つのかとも思う。
「書きたい」「知りたい」という「〜たい」のある状態が「主体性がある」状態だと、わたしたち教師は認識している。その「主体性がない」学びには、わたしたち教師は耐えられない。(と私は思っている)
言い換えると、生成あって創造なし、ということになる。昔の人ならそれを「仏作って魂入れず」と表現したのだろう。魂のない、プラモデルの仏像が次々と作り出されるとしたら、ちょっと笑えない。
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