top of page

chatGPTをどう教育に活用するか(2023/04/22)

1 chatGPTの得意分野

次の活用パターンに類型化できそう。

 

a 検索ツールとして使う

「〇〇って何?」「〇〇について小学生にもわかるように教えて」

 

b 言語処理ツールとして(要約、書き換えなど)

「〇〇を要約して」「〇〇風に書き換えて」「(例:裁判官)になりきって答えて」〇〇を具体的に説明して」

 

c 意見を生み出すツールとして

「〇〇についてどう考える?」「〇〇のいい点と悪い点を教えて」
「この文章を読んで、問題点や改善点を指摘して」「〇〇について反論して」

 

d アイデアを創造するツールとして

「(小説・詩など)を書いて」「〇〇のプロットを考えて」「〇〇の解決策は?」

「改訂版ブルーム・タキソノミー」でいうと

a,bあたりが「記憶」「理解」「応用」で、

c,dあたりから「分析」「評価」「創造」となろうか。

chatGPTが人間の認知と比べて特殊に感じられるのは、「記憶」がいい加減なくせに、「分析」「評価」「創造」が異様に得意というところ。

つまり「検索ツール」としてはポンコツだけど、意見、アイデアの創出がめちゃめちゃできる(ように見える)という点にある。

 

2 chatGPTを「分析」「評価」「創造」の相棒として使う

chatGPTに「事実」を質問しても、現時点では当てにならない。

たとえば「おすすめのランチのお店は?」と聞いたら、嘘っぱちや架空の店を平気で述べる。事実を聞くならグーグル検索のほうがずっとよい。つまり、chatGPTを検索ツールとして使うべきではない。

※(2023年6月追記、検索についても、ネット上で多くの人が適切に言及していそうな(Wikipediaに載っていそうな)ポピュラーな事実などの検索の精度は高い。例えば「行動経済学のプロスペクト理論について、小学生でもわかるように教えて」など、膨大な言及がありそうな有名な事柄について問いかけて、こちらがわかるまで質問攻めするような使い方は、有効。特に、邦訳されていない英語文献での内容も難なく引けるのでとても便利。deepLがいらない)

 

 

国語教育でchatGPTが特に真価を発揮しそうなのは「分析」「評価」「創造」だ。

 

国語の観点だと、たとえば詩の鑑賞を例に上げると、chatGPTにすべてのテキストを読み込ませた上でこんな問いかけをすると、ユニークな答えが出てきて面白い。
(すべて質問と一緒に本文も読み込ませることがポイント)

「〇〇の詩の・・・は何を表していると考えられる?」(分析)

「〇〇の詩のいいところとそうでないところは?」(評価)

「〇〇をテーマにした詩を書いてみて」(創造)
 

例えばこんな感じ

・・・・・・・・・・
あなたは国語の授業で「〇〇」という詩を読みました。
以下がその詩の全文です。

 

(詩をすべて貼り付ける)
 

この詩の中の「▲▲」はどんな人だと思いますか? 
本文中から根拠をあげて説明してください。

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

このようにAIに分析・評価・創造をしてもらったら、そのあとが大切だ。
その「結果」をそのまま人間がパクるのではなく(それはおそらく人間を退化させるだけだから)「なぜこう分析・評価・創造したのか」「その分析の根拠はなにか」というように、AIの思考の「過程」を人間自身が「読む」ことが欠かせない。例えば詩の解釈はこう導けばいいのかという
詩の読み方の方法論の一つとしてヒントになるだろう。

このようにAIを人間の思考と組み合わせることで、AIの分析・評価・創造の過程から私達が学ぶことができそうだ。

 

藤井聡太さんの例えで言うならこうなる。

藤井さんはAIを相手に将棋を指すときに、勝った負けたで一喜一憂するのではなく、「なぜこの一手を指したのか」とAIの思考過程をトレースし、学び合っているだろう。そのようなプロセスを繰り返してAIによって棋力を向上させている。

 

国語の観点だと、たとえば、こんな更問いが思考過程を追うことになるだろう。

「〇〇の詩の・・・は何を表していると考えられる?」と聞いて叩き出した解釈からさらに、

→「・・・は▲▲だとAIは分析(評価・創造)したけれども、それはどんな理屈(アルゴリズム)に基づいているのだろう」

というように、AIの思考過程を類推していく学び。

 

多くの国語教師の必殺技「国語はセンスだ」という決め台詞は、すくなくともAIには通用しない。

AIが持っているのは「センス」なんかではなく、論理演算であり、課題を解決するアルゴリズムだ。計量言語学的な手法による自然言語処理だ。

AIによって、ある程度妥当性のある解釈ができるとするならば、詩の解釈は、読み手にセンスがなくても論理でぎりぎりまで追いかけることができるということが示唆される。

(2023年6月追記、chatGPTはもともと英語をベースに生まれ、のちに多言語に展開しているシステムである。日本語で質問したとしても、おそらく一旦英語に直して、英語の文脈で思考して回答していると思われる。そのことでchatGPTの回答に不思議な違和感を生じさせることがある。その違和感の正体は日本語と英語のニュアンスが異なるケース(例「かわいい」と「cute」や「pretty」の示す意味の違い)が推察できる。

 

 

3 chatGPTはコモンセンス(共通感覚)をあぶり出す

 

 

いい意味でも悪い意味でも、chatGPTの叩き出す考えは常識的だ。つまり最大公約数的なふわっとした意見、解釈しか生み出せない。AIがもっている「センス」はコモン(共通、共有)なもの、つまり「多くの人が考えて、感じていそうなこと」である。

例えば、chatGPTに「春のイメージ」を聞けば「新たな始まり、希望」を感じさせる象徴だと解釈するはずだ。春のコモンセンスは、万人受けしそうなど真ん中を指し示す。AIはステレオタイプだ。凡庸だ。

(2023年6月追記 とは言っても、あえてchatGPTに「常識外れなイメージを考えて」という逆張り回答をさせようとすれば出来る。ということは、見方を変えると「常識」ととらえるのも「独創的だ」「ユニークだ」と捉えるのも、人間がそのように勝手に解釈しているからだ、ということにもなる。人間が常識的な、凡庸な答えを期待しているからこそ、chatGPTもそのように誘導され、振る舞っているだけなのだ)
  

個人の事情や個人の感覚などはいっさい捨象されるツールであるので、逆に言えば「chatGPTにないような感覚」をもし自分が持っていたとすれば、それは他ならぬ私個人が持っている感覚であるとも言えそうだ。

 

 

・・・・・

 

 

chatGPTは凡庸な人間を大量生産するのか、それとも個性的な人間をあぶりだし、引き出し、育てるツールなのか。

それはchatGPTそのもののもつ機能というよりは、それを使う、こちらの意図や方向性によるものが大きいだろう。つまり教育で我々が何を育てようとしているかということだ。

bottom of page