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書く生活はどう変化したか、どう変化するか?

A、発信メディアの多様化、簡便化、大衆化
ブログ、Twitter、電子出版など、発信するメディアがかつてとは比較にならないほど簡便になった。
誰でも、気軽に発信できるようになった。

B、情報量の短縮化と大量化
Aと関連して、情報を気軽に発信できるようになったぶん、発信される情報はどんどん断片化している。(Twitterのつぶやきなど)
ブログやFacebookなどの記事の文体は、今までの書き言葉の文体と明らかに異なっている。
書籍など比べて文量は少なくなったり、改行が増えたりという傾向になっている。
(多いと読んでもらえない) 
しかし、発信の頻度は増大している。そのため、発信される情報量そのものは、日々増え続けている。

C、話し言葉と書き言葉、文字テキストと映像テキストの差異の融解
TwitterやLineなどの文体は限りなく話し言葉に近似している。
また、絵文字(スタンプ)を多用したり、写真を投稿したりというように、発信するときの、文字テキストと映像テキストの差異は融解しつつある。

D、「書く」から「打つ」、そして「口に出して書く」へ
ペンを取り、手書きで書くという生活はますます少なくだろう。
現状は、キーボードで打つという生活が一般的だが、そのうち、ウェアラブル端末などが一般化すれば、音声認識だけで文字テキストのやりとりが完結してしまうだろう。(音声認識よりも優れたシステムが開発されるかもしれない)

E、情報の受け手の変化
特定少数から不特定多数へ、そして特定多数、さらには「顔の見えない」特定多数へ

通信メディアの変化を考えて見よう。
1、特定少数
かつて、一市民が通信するための手段としてのメディアは手紙・電報が一般的だった。これは特定少数に向けてのメディアだ。

2、不特定多数
その後、ブログやインターネットサイトなど不特定多数に向けてのメディアが開発された。

3、特定多数
さらには、SNSのなかにTwitterやFacebookなどの特定多数に向けてのメディアが日常的に使われるようになった。

4、「顔の見えない」多数
近年はデジタルキュレーションの技術が発展し、自分が発信した情報が、それを必要とする人に、(第三者の手によって編集され)届くようになってきた。(例、Amazonのレビュー、グーグルの検索など)
2と異なるのは、2の場合、情報の受け手は、自分で検索などをして特定の情報にたどり着いていたのであるが、最近はそれが情報技術によって自動的にあてがわれるようになることが可能になった。(Amazonや楽天のオススメ機能など)

F、個人としての書く生活から、関係としての書く生活へ
Eと関連し、情報は一方向のみに流れていくのではなく、双方向にやりとりできることが可能になった。
個人か書いたことをもとにして、それに関係、関心のあるものが(特定、不特定にかかわらず)返事をしたり、共感を示したり、情報をシェアし共有していくようになる。
個人のつぶやきは、つぶやかれたとたんに共有のテキストとなる。
従来のメディアと比較して、より「関係の中での書くこと」に向き合わざるを得なくなる。

G、書き直し、更新と、情報の半永久性
ワープロの大きな特徴は書き直しなどが自在にできるということだ。
どこから書き始めてもいいし、間違ったらすぐに書き直すことができる。差し替えや更新も容易だ。
だから、ちょっとした思いつきでも,とりあえず書きとめておき、後でそれをつなぎ合わせたり、書き直していったりという編集操作が容易になる。
そのため、従来の書くこと指導のような、取材→選材→構想→記述→推敲のような、硬直したプロセスではなく、記述しつつ削除したり、推敲しつつ書き足すことが普通になる。
また、(矛盾するようだが)一度ネット上に発信した情報は、劣化せずに、いつまでも漂い続ける。
自分の過去のつぶやきが、消したつもりだったけど残っていたなんてこともある、「消せない情報」のデメリットについても考慮する必要がある。

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