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1 お茶中の教師は校内研究でどう学んでいるか?

(1)月一回の研究授業の時間を捻出する

(2)研究授業では学習者を見る

(3)教科を越境するテーマで教科の壁を超える

(4)「授業リフレクション」で公開研究会の改革に切り込む

1 お茶中の教師は校内研究でどう学んでいるか?

まず、勤務校の授業研究についてお話します。

本校は研究校ということもあり、校内研究は学校の大きな柱となっています。

多忙な教育現場では、無意味で形式的な校内研究が批判されることも多々ありますが。うちでは、少しでもその校内研究が実のあるものになるように工夫してきました。

研究内容の詳細については長くなるので割愛しますが、具体的な校内研究の運用について、ここでご紹介します。

 

(1)月一回の授業研究の時間を捻出する

4月などの繁忙期以外は、毎月第一火曜日に研究授業をやることになっています。

その日は授業を50分から40分に短縮し、浮いた時間で、7時間目に研究授業をします。

7時間目には授業をするクラス以外の生徒は下校となり、全職員でそのクラスの授業を見ます。

 

(2)研究授業では学習者を見る

研究授業では、観察する生徒が指定されます。

例えば、A班の4人の生徒は〇〇先生が中心に見るというように、事前に観察する生徒を全職員で分担します。

つまり、授業をやっている間、参観者は指定されたグループの生徒を責任を持ってじっくり観察することになります。

普段授業をみるとき、参観者は「気になる生徒」や「気になる様子」だけをピックアップしてみるような見方になりがちなのではないでしょうか。しかし観察する生徒が指定されますと、そういうわけにはいきません。上の空だったり、一見ぼーっとしていたりする、ほとんど注意を引かないような生徒の姿にも、どんな意味があるかを考えることになります。その授業の流れの中での、特定の学習者の反応や思考を、参観者は考えながら見ることになります。


 

授業後は、同じグループを観察していた教員が集まって、お互い気づいたことを言い合います。

同じ生徒を観察していた人同士の振り返りですので、「〇〇ちゃんはこうしていたけど、それは〇〇くんのこういう働きかけや、教師のこういう支援が良かったからだ」など、具体的な気づきが共有されることになります。同じ生徒を見ているけど、他の先生と見るポイントが違うことがあるのも興味深いところです。

このように、クラス全体をなんとなく見るよりは、一人の生徒をしっかりと観察し、それを他の教員と共有した方が、その授業のよしあしが浮かび上がってくると実感しています。

 

(3)教科を越境するテーマで教科の壁を超える

中学校の校内研究の最大のハードルが「教科」という壁だと思います。

研究授業をしても「私は数学科だから、国語の授業を見ても分からない」とコメントされたら一歩も前に進めません。

だから、校内研究では教科の授業を取り上げることもありますが、その場合は教科の授業内容について検討するのではなく「思考を可視化するツールの活用」などのような教科を超えたテーマを取り上げてディスカッションします。

また、最近は教科ではなく総合的な学習の時間を取り上げて研究しています。

いま学校全体で取り組んでいるテーマが「コミュニケーション・デザイン科」という、総合的な学習の時間にかわる新教科の開発です。

この新教科のキーワードは「協働的な課題解決を支える資質・能力」や、各教科で汎用的に活用できる「情報活用能力」、「コミュニケーションの創出」などです。

 

このような教科を超えたテーマで校内研究をし、いろいろな教科のエキスパートの目で見合うことは、たくさんの学びが得られます。

まず、「社会科ではこうしている」「国語科的な視点から見てこう言える」というような、それぞれの教科の持っている良さや特質が浮かび上がり、それを共有することができます。

次に、他教科の様子を知ることで、それぞれの教科が持っていた、こだわりやしきたりが、いかに取るに足らないものであったかにも気づかされます。

たとえば、社会や数学の「話し合い」では非常にあっさりとした指示でも生徒が生き生きと取り組んでいるということを聞いて、「私の国語の話し合いでは、ひょっとしたら教えすぎだったんじゃないか」ということに気づかされます。こういうエピソードはいくらでもあります。

 

そういうわけで、中学校の校内研究のキモは、教科の壁を越える「越境」、複数のエキスパートが、一人の生徒、一つのテーマで見合い、語り合うことにあるのではないかと思っています。

 

(4)「授業リフレクション」で公開研究会の改革に切り込む

4-1  残念な研究授業後の協議会

附属学校にとって最大の校内研究イベントが、年に一度行われる公開研究会です。

公開研究会は学校外のさまざまな人に授業を見ていただき、共同で検討するというまたとない機会なのですが、この公開研究会、「やってみた良かった」ということ、やってみてむなしさが残ることと二つのケースがあります。

その最大の要因は、授業後の協議会です。

授業そのものは「成功」でも「失敗」でも何らかの学びはあるわけで、それで「むなしい」と感じることがありません。

しかし、協議会によっては「何のために授業をやったんだろう」と思うむなしさに授業者が一気に襲われることも少なくありません。

 

例えば、参加者の人が、授業の内容とはあまり関係がない、些細と思われる質問をされる場合。(「生徒の漢字が間違っていましたが、どのような指導をされてますか?」など)

また、例えば、授業をまったく見なくても語れるような、ご自身の教育観を蕩々と語られ、最後に付け足しのように質問される場合など。

このような残念な協議会を私はいくつも経験してきています。

しかしこれは、「参加者のせい」なのではなくて、協議会のあり方そのものが、そういうやりとりを生み出しているのではないかという問題意識をずっと持っていました。

 

4-2  授業リフレクションの試み

そこで、昨年の公開研究会から国語科の協議会で「授業リフレクション」を取り入れることにしました。

ちょうど所属している教育サークル(KZR東京むさし野会)に、授業リフレクションを研究している澤本和子先生がいらっしゃいますので、昨年から澤本先生の監修で協議会を一新してみました。(澤本先生の論考は、『国語科授業研究の展開』東洋館出版社、2016や、『夢中・熱中・集中…そして感動 柏市立中原小学校の挑戦!―授業リフレクションで校内研を変える』東洋館出版社、2005があります)

 

昨年の公開研での授業リフレクションは以下の手順で行われました。

やや細かいですが、そのまま参考にできるように書いておきます。

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【授業リフレクションの流れ】

0 趣旨の説明

メンター(澤本先生)が授業リフレクションの趣旨について説明。

「今日の授業リフレクションの主役は〇〇先生(授業者)です。

メンター、参加者は、授業者のリフレクションをお手伝いする存在だと思って、今日の授業リフレクションに参加してください。」

 

1 授業者の個人リフレクション(5分)

授業者が、授業をやってみて感じたことなどを語る。

 

2 メンターとの対話リフレクション(20分)

メンターが、1を受けて、授業者に質問をして授業者のふりかえりをさらに引き出す。

 

3 参加者との共同リフレクション(40分)

(1)コメントの記入

 参加者(授業の参観者)は1・2を聞きながら、その場で考えたことを次の2種類の付箋に書き出す。

・赤の付箋……これはいいな

・青の付箋……詳しく聞いてみたい、疑問

あとで集約することを考えて、キーワード、またはキーフレーズで端的に一つだけ書くようにする。名前も記入する。

 

(2)付箋を整理する

メンターは参加者からの付箋を、その場でKJ法でまとめていく。

「教材」などのトピックごとにまとまっていく。

 

(3)整理した付箋をもとに集団リフレクション

メンターは、整理された付箋を見ながら、意見が集中したものや、逆に際立ってユニークなコメントなどを取り上げ、なぜそのコメントを書いたか、参加者から意図を聞く。

また、授業者に「こういう意見がありますがどうですか」などと質問して深めていく。(時間があれば、テーマを設定して全体でディスカッションすることもあるそうです。)

 

4 メンターから(20分)

メンターから、「授業リフレクション」の意義、背景についての解説。

 

5 参加者から手紙を手渡す

最後に、参加者が授業者にメッセージを書き、それを手渡しでプレゼントして終了。

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4-3  授業リフレクションの特徴と良さとは?

私自身、初めて授業リフレクションに参加してみて気づいたこと、考えたことがたくさんあります。

一つは、この協議会は「授業の善し悪し」を冷めた目で批評、検討するものではないということです。そうではなくて、「授業者が何を捉え、どう感じ、行動したか」に焦点があたっていることが特徴だと感じました。

もう一つは、最初と関連するのですが、授業リフレクションでは、授業者がよくしゃべる協議会になるということです。うまくかみあっていない協議会ですと、授業者を置いてけぼりにして参加者が一方的にしゃべり、授業者の問題意識とは違う、あさっての方向で議論が進み、授業者は黙ってそれを聞いているということがあります。しかし、授業リフレクションでは「授業者のリフレクション」が中心に据えられ、それを他の参加者が支えるという構成になっているのがユニークだなと感じました。(これは私の感想なので「授業リフレクション」の本来の理論とは違うかもしれません)

​お茶中の教師は校内研究でどう学んでいるか?

​※「教師教育メールマガジン」に寄稿したものです。

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