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  • 執筆者の写真光輝 渡辺

夢をイメージする能力

ChatGPTは社会を変える大きなインパクトがあると感じる一方で、刺さらない人には一切刺さらないんだろうなとも思う。その違いの所以は「空を自由に飛びたいな」と思えるかどうかにある。

ChatGPTはドラえもんのような知能を持っているツールだ。でも「空を自由に飛びたいな」と指示しないと、タケコプターは出てこない。ドラえもんのように、のび太が何もしなくても、何かの秘密道具が飛び出してくることはない。

つまり、ユーザーが「何ができるかわからない」「特に何もしたいとは思わない」というときに、ChatGPTは全くの無力だ。

これと似たようなツールとユーザーの関係は枚挙にいとまがない。

たとえば、私は高性能で高級なAdobeのソフトをセールで買ってしまったけれども。「何ができるかわからない」「そもそも何もしたいとは思わない」ために、殆どのツールをまだ一回も使っていない。ログインさえしていない。もうすぐサブスクの期限が終わってしまいそうだ。数万円したのでめちゃくちゃもったいなくて泣きそうになる。でも特にこれと言って何かをしたいとは思わない。どうしたらいんだろう。

というわけで、おそらく、これからAIとうまく付き合っていくスキルなるものが要請されるようになると思うけど、その中核は「空を自由に飛びたいな」と思う力、つまり夢をイメージする力だろう。

「こんなこといいな、できたらいいな」が常に頭の中いっぱいに存在し、それを言葉に変換してAIに指示し、実行させる。

夢を持つのは人間の役割、夢を形にして実現するのはAIと人間の共同作業。そういう時代がもうすでに目に前まで到来しつつある。

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