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これからの読むこと指導はどうあるべきか

(説明的文章編)

説明的文章を読む学習を取り上げる際、従来の「書いてある内容を的確に読み取る」という学習だけでなく、以下の視点が課題となるだろう。

1、目的や方法意識を持って文章を読む学習
従来の説明的文章を読むことの学習では、与えられた文書を、教師に教えられた読み方で、忠実に読み取っていく学習が進められてきた。
ポイントを押さえた教師の発問や、課題の提示で、正確に読み取る読み方が奨励されてきたといってよい。
これからの説明的文章を読む学習では、「何のために読むか」という文章を読む目的意識や、「どのように読んでいくか」という方法意識を明確に持った学習をすることが課題となるだろう。
なぜなら、社会に出てからは、文章を読むときに目的や方法意識を持つことなく読むことというのはおよそあり得ないからだ。

2、文章の意図や効果を読む学習
何が書かれているかという内容を読み取るだけでなく、その内容を書き表している表現の効果や意図まで読み取ることのできる力が必要だろう。
たとえば、同じ事柄を説明するときに、どのような語尾や文体を用いるかで読み手に与える印象はかなり異なったものとなる。
何を取り上げ、なにをあえて取り上げないか、という「事柄の優先順位」や「事柄の選択」のなかにも、書き手の意図は濃厚にあらわれるものである。
そのような、書き手の意図や表現の効果をクリティカルに読み解く視点を持つことは、さまざまなメディアや膨大な情報に囲まれた社会に生きる私たちにとって必要な読む力であろう。

3、「読解と読書をつなぐ」ことをあらためてとらえ直す
社会で人々が触れる情報量はここ数年で急激に増加をしている。文字情報だけをとっても、以前は書籍や新聞などのわずかメディアであったが、近年では圧倒的にwebからの情報量が拡大している。「読書」=「本を読むこと」の意味合いは、今後ますます薄れていくことだろう。
そのような、膨大な情報に囲まれた社会に対して、いままでの説明文を読む学習がどれくらい対応できていると言えるだろうか。
国語教育の課題として「読解と読書をつなぐ」ことの重要性は以前より言われてきた。
もう一度、これからの時代の「読解」とは何か、「読書」とはどのようなものか、とらえ直す時期にきていると思う。
そのような視点を持たず、教科書の読み取りのみに汲々としているような国語の授業であるならば、早晩国語科は消滅することだろう。

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