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どういちゃもんをつければいいか~重箱のつつき方入門~

授業を公開したり、研究成果を発表したり、とにかくいろいろな発表をする機会に、しばしば参加者からいただく「ご批判(いちゃもん)」のいろいろをいくつかパターンで分類したいと思う。

こういう批判のパターンをあらかじめ頭に入れておくと、どんなご批判がきても心の準備ができるかもしれない?? 

(もちろんパロディーですよ! これを逆手にとって人の欠点をあげつらうときに使ってはいけません)

 

重箱のつつき方パターン(もう少しパターンが増えるかもしれない)

~研究授業後の協議会を想像してください~

 

A 「重箱の隅をつつく」……細部に対するいちゃもん

例文)授業の時に先生が言った「……」という一言はいかがなものか?

例文)指導案のこの言葉だけ「  」が付いていないのは何か意味があるのか?

 

 

B 「重箱の箱の模様をつつく」……ややポイントがずれたいちゃもん

例文)すばらしい授業でした。ところで、授業で使ったプリントはどうやって保存しているんですか?

例文)生徒が作成した掲示物に誤字があったのですが、日頃どのような指導をしているのでしょうか?
例文)この教材の著作権についてはどのようにご配慮されていますか?

 

 

C 「重箱ではなく、隣のお椀をつつく」……カテゴリー外からのいちゃもん

例文)古文の内容を読み味わう授業で

「古文の音読をしなくていいんですか?した方がよくないですか」


例文)ICT活用がテーマの授業で

「ITCばかりでなく、ノート指導が必要ではないですか」

 

例文)意見文を批判的に読むことが目標の授業で

「文章にどっぷりひたって共感させることが大切なのではないですか」

 

 

D 「重箱をつつく、とみせかけて自分語りをする」……自己主張のためのいちゃもん

例文)私もこの実践をしたことあるんですが……で、……だったんです。どう思いますか?

E、「重箱の説明書を取り出して批判する」……権威に寄りかかっていちゃもんをつける
例文)「学習指導要領では……と書かれています。それをどのようにふまえたのでしょうか」
例文)「学習指導要領の指導事項でいうと、この授業はどの領域ににあてはまりますか?」
例文)指導事項にはないことを教えています。この授業は国語ではなく、道徳ではないですか?

 

 

うーん、無理に重箱にまとめようとして難しくなってしまった。

もっと色々なパターンはあると思います。

 

 



授業の批評には次のレベルでの評価(批判)がある。
そしてその評価には往々にして「信念対立」(価値観の相違)が見られる。

A、教育観・授業観・子ども観レベル
……どのようなスタンスや教育観でその教師の授業が構成されているか。

B、学習内容レベル
……何を学習内容として取り上げ、子どもに学ばせようとしているか。

C、単元・学習計画レベル
……Bをどのような学習プロセスで教えようとしているか。

D、授業技術、手法レベル
……どのような授業技術でそれらを教えようとしているか。

どのレベルで評価しようとしているのか、評価する人は意識する必要がある。
さらには、自分の授業の見方が偏ってはいないかを自己チェックすることも大切だろう。
(授業技術にばかり目を向けている人は、計画や内容、根底にある哲学について検討する。教育観や哲学にばかり目を向けてしまう人は、授業技術の評価もする)
 



それらの念頭に置いた上で、1時間の授業を批評するポイントは、

1、教えようとしていること(教師の意図、ねらい)

2、教えている内容や活動(学習方法や計画)

3、子どもの様子、変容(実態)

の3点に絞って判断すればよい。

この3点以外に、観察者の予断や憶測、先入観や自己顕示欲がまじると、見当違いのいちゃもんになるのではないか。
 


国語の授業だったら、私はまず指導案の次のつながりを確認する。

・授業の狙い(指導事項)

・言語活動

・学習材

そして、その観点に従って子どものようすから、狙いが達成されているか、どんな学びが広がっているかを見る。

研究授業だったら、この授業に「賭ける」研究上の課題がどのように具現化されているかを見る。


たとえば、次のような質問は出て当然だし、それについて事前に考えておくことは必要だろう。
・子どものいままでの学習履歴と、それをふまえて、この学習内容を取り上げる必然性は?
・なぜこの学習内容を取り上げたのか、その意義は?
・狙いと言語活動(学習活動)はマッチしていたか?
・子どもはどんな目的意識を持って学習に取り組んでいたか?
・ゴールとして、どのような子どもの姿をイメージしているか?
・この授業を通してどんな子どもを育てたいか?
・学習材にはどのような工夫や配慮が見られるか?
・授業の計画は子どもの思考に沿って無理のないものであったか?
・授業の展開は自然な流れか? 首尾一貫していたか?
・授業中の教師の手立てに必然性があったか?効果的だったか?
・なにを、どのように評価するか、それをどのように次の指導へとつなげていくか?
など。

 

実際のところ、意図・方法・実態の3つを的確に捉えるのはなかなか難しい。

 

・教師が意識していない狙いが授業の中に隠れていることがある。

・そもそも指導者が狙いが明確でないことも多い。

・学習方法と狙いがマッチしているとは限らない。

・むしろほかに狙いを設定したほうがふさわしい学習活動もある。

・狙っていること以上の多様な学びが広がっていることもよくある。

・当然、子どもの反応も千差万別、ある学習方法がうまくはまる子もいるし、そうでない子もいる。全員に適合する授業などほとんど難しい。しかし授業の批評は往々にして子どもを十把一絡げにして語られることが多い。

 

こう考えると、むしろ「いちゃもん」は建設的な価値を生み出す契機になるかもしれない。

多様な批判にさらされることで、授業を違った側面から振り返ることができる。その結果、授業の新たな価値や魅力を引き出すことができる可能性がある。

意地悪な「いちゃもん」を、愛のある「ご指摘」に転換させて、研究授業をより実りあるものにしていくくらいのどん欲さ、胆の大きさが、研究発表をする人には必要なことなのだろう。

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